黒糖焼酎の歴史
黒糖焼酎は奄美群島でのみ製造が特認されているお酒です。
その歴史には、かつて奄美群島が琉球王朝や薩摩藩、アメリカ軍政の支配下にあった波乱の背景が存在します。
− 約500年前
江戸時代から第二次世界大戦以前まで、奄美群島では泡盛を中心にお酒が製造されていました。
ところが、戦時中から戦後にかけての米不足から、米を原料とする泡盛の製造が困難になります。
それに追い打ちの如く、戦後のアメリカ軍政統治により、奄美群島の特産品である黒糖が移出規制されます。
島民は知恵を絞り、不足する米の代わりに、売り先を失った黒糖を原料とする黒糖酒の製造を始めました。
− 1953年
奄美群島が日本に返還された記念の年にあたります。
喜ばしい歴史の中にも、大きな障壁がありました。
当時、奄美群島で製造されていた黒糖酒は、焼酎の仕込みに使われる"麹(こうじ)"を使用していませんでした。
日本の酒税法が適用されると、麹を使用しない製造工程から「スピリッツ」に分類され、高い税率が課せられます。
戦後復興で経済的にも負担が大きい奄美群島で、黒糖酒を焼酎として扱うよう島民の声が上がました。
島民の強い要望を受けた政府は、振興支援策の一環として、麹の使用を条件に奄美群島限定でのみ製造を特します。
以降、奄美群島の特産品として黒糖焼酎は広く愛されるお酒となりました。